11月19日 PM
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2017年罹患時の出来事から再投稿の為、
過去記事を閲覧いただきましたフォロワーの方には何卒ご了承をお願い申し上げます。
ブログ開設当初の『アメブロ』から転載記事ではありますが、
稀なケースの為、後の患者様、医療関係者様の【情報源】として参考になるよう、
過去の記録を添削・整理しながら記憶を辿り再び書き記すものである。
いよいよ始まる抗がん剤治療。
人生で初めての経験となったのだが、
過去の記録を見ると最初の治療スタートは7月5日となっていた。
事前のカンファレンスで説明があったのは、
血球の回復を待ち約三週間のサイクルでクールを繰り返すとの事。
私の場合はクール初日(リツキサン)の投薬で、
翌日はCHOP(シクロフォスファミド+ドキソルビシン+ビンクリスチン+プレドニゾロン)投薬。
そして翌日は(メトトレキサート)の髄腔内注射と三日連続の治療となった。
本人にすれば点滴を受けるのと同じ事なのだが、
液漏れ等は禁忌ということで看護師さんは取り扱いにナーバスだ。
リツキサンに関しては心電計に酸素濃度計器まで装着、
定期的な血圧測定や検温まで実施された。
私も初めて体内に(劇薬)を入れる訳で、決して気持ちの良いものではなかった。
初日のリツキサンでは発熱や発疹と言った副作用が出る事が多いと説明を受けたが、
私も案の定、途中で顔に発疹が出てしまい投薬を一時中断した為、
一日がかりの抗がん剤初日となった。
二日目のCHOPに関しては逆に淡々と投薬が進められたが、
プレドニゾロン錠100㎎分10粒をまとめて飲み込んだ時には、
余りのその苦さに悶絶した。
これは他の患者さんやブロ友も同様の様で、
皆、牛乳等で飲みこむなど工夫されているようだった。
そして最大の憂鬱はメトトレキサートの髄注だった。
腰椎に針を刺すというだけで気が滅入るのだが、
背中を向けた状態なので心の準備が全くできないのだ。
長い注射針(70㎜)が髄腔に入る瞬間は、
麻酔やマルクを経験した後でも慣れることは無く苦痛でしかなかったし、
骨髄液を採取するのと入れ替えで薬の投薬が行われる為、
長い注射針を刺したままの状態で一定時間ずっと我慢していなくてはならず、
注射針近くの神経を傷つけないかと冷や冷やしていたものだ。
『これ(髄注)があと7回も。。』
想像しただけで憂鬱そのものだった。
その後の細かな副作用についてはもう記憶が曖昧だが、
最初の頃は随分と自分の体の変化に戸惑った。
先ずは睡眠不足。
これはステロイドのプレドニゾロン錠を服用した影響だが、
身体が興奮してか眠れないない夜が多かった。
ステロイドで言えば便秘も深刻だ。
普段から酒飲みの私はどちらかと言えば軟〇気味のはずが、
確か丸三日ほど出なかったのではないか?
この時に初めてマグネシウムを処方して貰い服用したのだが、
この便秘が災いして後には『切れ痔』にまでなってしまった。
それと初めて経験する『骨髄抑制』
女性であれば生理痛と似た感じなのかもしれないが、
兎に角、腰が割れるように痛くなり、
何をするにも倦怠感でどうしようもないといった感じだった。
今書いているのは1クール目の話であり、
その後はどんどん体力を奪われていく事になる。。
【その12】へ続く
毎日の記録は過去記事にも記録しているので、
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