11月13日 PM
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2017年罹患時の出来事から再投稿の為、
過去記事を閲覧いただきましたフォロワーの方には何卒ご了承をお願い申し上げます。
ブログ開設当初の『アメブロ』から転載記事ではありますが、
稀なケースの為、後の患者様、医療関係者様の【情報源】として参考になるよう、
過去の記録を添削・整理しながら記憶を辿り再び書き記すものである。
中途半端な麻酔の余韻と鼠径部切開によるダメージで、
手術中より意識レベルが低いような気さえした。
排尿カテーテルと心電計、それに点滴。
体中に複数の余計なものが付いている関係で身動きすらままなら無い状況。
麻酔が完全に切れて傷口が痛み出したのは夜中だったが、
背中、特に腰辺りが辛くてたまらない。
手術中に意識があったからと言って、
自らの手術を眺めていたわけではないので、
今自分の全身がどういう状態かすらわからない。
事前の知識では手術後、陰嚢内の出血を逃す管が刺さるつもりでいたが、
体を起こせないのでその処置がなされたのかも不明だった。
途中看護師さんが足の浮腫み防止用のマッサージャーを持ってきてくれたが、
(横たわったマグロ)状態の私には丁度いい刺激だったのはよく覚えている。
しかし夕方もまだ早い時間から寝てばかりで、
夜中に目が覚めて以降は尚更眠ることが出来なくなってしまい、
睡眠導入剤を飲んでもうとうとする程度。
痛みに耐えかね看護師さんに途中身体の向きを何度か入れ替えて貰ったりしたが、
体中の痛みは増すばかりと結構な苦痛の時間が続いた。
手術後のこの夜は本当に長かった。
朝になって看護師さんがパンとフルーツの軽食を持ってきてくれたが、
丸一日食事をしていなかったので間もなく平らげてしまった。
この時点ではとにかく邪魔で仕方が無い早く排尿カテーテルを抜いてほしかったのだが、
食事を胃袋に入れたせいでトイレのも行きたくなったので尚更。
小水は仕方が無いにしても(大)の処理までお願いするのはねぇ。。
トイレの心配はもう一つ。
メスを入れた翌日ともあってお腹に力を入れるのが兎に角怖かった。
ようやく排尿カテーテルを抜いてもらい、
生まれたての羊の様によろよろ立ち上がったと同時にトイレに直行。
思ったよりすんなり用が足せたので良かったが、
冷静になり陰嚢を確認すると、
刺さっていると思い込んでいたドレンが入っていない。
というか、ドレンを処置した形跡すらないので、
どうやら私はドレンが必要ではなかったのだとその時気が付いた。
執刀する先生によってはこういう違いがあるという事もお知らせしておきたい。
※今現在に至るまでそのことで問題が生じた事はありません。
そう言う事で無事手術は完了した。
抜糸までは毎日消毒が一回あった気がするが、
気になっていた入浴も然程問題は無かったように思う。
そうしているうちに一週間が過ぎた。
そろそろ退院を言われる頃だと思うが一向にその気配がない。
その後入院十日を過ぎようという頃、
退院時期を看護師さんに尋ねてみた処、
『このクリニックでは患者の意向で退院出来ますよ。』とさらり。
『もっと早く聞くんだったな。。』
同時に病理検査の結果があとどれくらいで分かるのかをY院長に確認して貰った処、
『明日にはわかりそうですよ』と言うタイミングだったので、
この際、病理の結果を待って退院することに決めた。
ただ、その時に『今染色検査に回っているみたいで。。』と一言あったが、
当時の私にはその言葉の重大性を理解できていなかった。
栄養士が管理している食事はカロリー摂取オーバーを気にしないで良いから楽だ。
【その7】に続く
最後まで読んでいただき有難うございますm(_ _)m
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