10月8日 AM
読まれた方も多いと思うが、
国立がん研究センターの名誉総長で、
自らも癌サバイバーとして癌サバイバーの支援活動をサポートしている『垣添忠生さん』の、
癌サバイバー支援ウォーク最終日の模様が紹介されていた。。
週刊雑誌からではあるが、内容に感銘を受けたので皆さんにもご紹介したい。。
愛妻をがんで亡くし、自らも「がんサバイバー」のエリート医師が味わった絶望と希望
週刊女性プライム
7月23日、埼玉県熊谷市で観測史上最高の41.1度を記録した直後の午後3時。
札幌市の北海道がんセンターは、がんの専門病院らしからぬ歓声に包まれていた。入り口周辺には、白衣姿で拍手をする人もいれば、『ずっと一緒にいたいから がん検診』と書かれた幟(のぼり)を手にした人もいる。
そんな人たちの輪の中に、20名ほどの人に囲まれた男性が、『がんサバイバーを応援しよう』と書かれた幟を手に飛び込んできた。
男性の名は、垣添忠生さん(77)。検診による早期発見や早期治療、生活習慣の改善を呼びかけることでがん撲滅を目指さんとする『日本対がん協会』の会長であり、東京築地の国立がん研究センターの名誉総長。そして自身も腎臓と大腸のがんを患い、がんとともに生きる“がんサバイバー”のひとりでもある。
© 週刊女性PRIME 公益財団法人「日本対がん協会」会長 元国立がんセンター総長 垣添忠生さん 撮影/森田晃博
この日は全国700万人のがんサバイバーたちを励まして、健康な人には予防と検診の大切さを啓蒙。さらには寄付を訴えるのを目的に全国を縦断した“がんサバイバー支援ウォーク”総距離3500キロの最終日だったのだ。
ウォークは2月5日、大雪に見舞われた九州がんセンターを皮切りに、四国、近畿、関東、東北、北海道と北上。途中、仕事による数回の中断をはさみながら、全国がんセンター協議会加盟の32病院を96日間で訪ね歩くという苛酷なスケジュール。時折、各地の患者団体の人たちに先導してもらいながらも、1日数十キロを原則ひとりで歩き続ける垣添さんを励ましたのは、幟を見た歩行者からの温かい励ましや、ドライバーたちからの“頑張れ!”という声援、そして日本の美しい風景だったという。
がん患者とその家族を支援する『リレー・フォー・ライフ・ジャパンとまこまい』事務局長で、最終日をともに歩いた下村達也さんが、その道のりと熱意に感嘆する。
「(垣添)先生は、今日は17キロぐらい歩いています。77歳とは思えないほどお元気で、足が速い。このウォークで、赤かったリュックはオレンジ色になったと言っていました」
リュックの色を変えるほどの雨風にさらされて、この日ようやっとゴールイン、月桂樹の冠を贈られて、会心の笑顔を見せる垣添さん。
だが、もっとも喜んで迎えてくれたであろう人が欠けていた。2007年12月31日に肺の小細胞がんで帰らぬ人となった、最愛の伴侶・昭子さんである──。
続きはソースにて
かなり長いのでタグを貼らせていただいたが、
こういう応援してくださる方達がいるから、
がんサバイバーと言えども病気と闘っているのは自分一人ではないと気力を振り絞る事が
出来るし、垣添さんのような支援者の存在は大変勇気づけられるものである。。
未だに副作用に悩まされる私ではあるが、垣添さんは77歳。。私は51歳。。(;´・ω・)
まだまだだな。。と反省しきりであるとともに、
生意気ながら私も形は違えど、このブログにお越しの皆様に色んな意味で有用な情報を発信して
役立てて頂こうと思ったのだった。。
実際最近は病人と健常者の境目にいるような状態なので、
どうも日頃うまくいかない事での不満のはけ口になってしまっているが、
もっと積極的に情報交換もしていきたいと思います。。
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