おにぎりの教訓 ~ 自伝 座右戯言 ~

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筆を洗ったまっ黒なコップの水も、

 

水道の蛇口のところに置いて、

 

ぽたりぽたりと水を落とせば、

 

一晩のうちにきれいになってしまう。

 

 

 

 

百歩譲って、

 

いくら磨ても玉にならないとしてもだよ、

 

磨かない玉よりはよくなるぜ。

 

ここいらが非常に味のあるとこじゃないか。

 

 

 

以上

中村天風格言集より引用

 

 

 

 

プレドニンの影響か今朝は4時半起き。。

寝つきは良かったので、それでも5時間は寝ているだろう。。

 

 

前述はいつもの中村天風格言集より引用しました。。

私が日々参考にしている言葉です。

 

 

なぜこの人は『中村天風』を良く引用するのだろうと思う人がいるかもしれません。

今朝は戯言ついでに私自身の事に触れたいと思います。

 

 

男三兄弟の末っ子で、随分と甘やかされて育ったと思います。

幼少期は3歳ずつ年の離れた兄貴達の後ろを金魚の糞の様について回り、兄貴が悪い事をすればすぐにお袋に告げ口するような姑息な小僧でした(笑)

 

片田舎の普通の小学校に通い、生徒の分母も少なかったせいで常に成績上位、運動に関しては走る事は1等賞にはならなかったものの、遅刻ギリギリで走って通学していたせいで、長距離は得意で学年でほぼ負け知らず、それと担任教師が熱心だった水泳だけは県内レベルだが表彰台に立つまでなった。

 

 

中学は脱線街道の始まりで、けんかやタバコでの父兄指導は常習犯、朝礼が終わると学校を抜け出し、給食時間に教室に戻る様な問題児だった。。

高校も然り、幸い地元の辛うじて進学校と呼べる公立に入ったが、入学直後の進路調査で

学年300人以上いた生徒の中で唯一の就職希望者だった。。

進学理由は単純で、バイクの免許と男女共学位の理由でしかなかった。。

 

 

そんな状態から高校卒業時も親が勧めてくれた大学進学は拒否(当然はなから頭にない)、訳の分からない会社に就職して、その会社では初任給すら貰えずただ働きで2か月間。

※その会社は直後に当然倒産。理由は当時の社員が労基に突っ込んだからだ。。

 

 

友人は勿論ですが、この時点で何となく察する方も多いと思います。

当時でいう典型的『ヤンキ―兄ちゃん』ですね(笑)

 

 

当時19歳、まだまだ遊びたい盛りの私は、中古だが180万の車(日産レパードというやつね)

を全額ローンで所有していたが、あまりの調子の悪さに3か月で売りに出し、同じ中古車ディーラーから150万の車(今回は33ナンバーのクラウンで当時は排気量で税金が決まっており、税額は年間8万円以上だった為、若い世代はほぼ所有していなかった)と乗り換えた!

 

 

ここからが転落の始まりで、馬鹿な私は前の車の買取を現金精算してもらう前に重複で再度ローンを申請してしまう。。以前のローンは中古車ディーラーが払う約束だった。。

予想できると思うが、その中古車でヒーラーは資金繰りにひっ迫しており、社長はそのまま行方不明になった。。

※この社長は後に詐欺で逮捕されたが、支払い能力は無いのだから後の祭りである。。

 

 

19歳の私に残ったのは金利まで380万、月額10万に近いローンだけとなった。。

 

 

そのころを境に両親には一切の口答えをしなくなった。。

 

 

当時ようやく再就職した会社も超が付くブラック企業で、早朝7時より、帰宅は日付が変わろうかという勤務業態で、しかも給料は10万のローンを払って残りは通勤費用も出ない程度しか収入はなかったのだ。。

 

 

その頃、真夏のうだる様な暑さの中、エアコンも完備していないトラックでルート営業をしていた私に、お袋が毎日弁当を持たせてくれるのだが、ほぼ肉体労働の上、勤務時間があまりに長くお腹を空かせるのを察してか、お弁当の他に大きな『おにぎり』を別に持たせてくれていた。。

 

 

真夏の事であるし、車内は今程では無いまでもサウナ状態だ。。

お弁当は何とかなっても、『おにぎり』は腐りかけて匂っているのが当たり前だった。。

しかし私はそのおにぎりをただの一度も食べずに捨てたことは無い。。

匂う『おにぎり』を薄暗い車中で、涙を流しながら食べたこともある。。

 

 

これが今の自分だと。。

親の言う事も聞かず、好き勝手やってきた罰だと。。

母の想いを無にしては罰が当たる。。

だから両親には未だ感謝してもしきれない。。

 

 

お蔭で4年はかかったがほぼ自分の給料だけで400万近いローンは完済した。。

その分一切の生活は両親のすねをかじる結果となった。。

 

 

恥ずかしながら、これが私の青年期だ。。

ただ、これが私の人生においての分岐点ともなっている。。

 

 

人に蔑視されない程度、学歴以上の教養を付ける事。

成功者の提言を吸収して自分なりに応用していく事。経験に勝るものは無いと信じている。

何度失敗しても失敗の原因を考えてから、次のスクリプトを作成する事。

 

 

偉そうに失敗談を語っているが、今こんな病気になっても動じずに常に前を向いていられるのは、あの『おにぎり』の味を今も忘れてはいないからである。。

どんなに困難でも、常に誰かが支えてくれているのを知っているからである。。

 

 

勿論人生には失敗がない事が望ましい。。

以前も書いたがこの世知辛い時代、正に正直者が馬鹿を見る時代でもある。

そうかというと、全てでは無いが他人を踏みつけ傷つけてでもやったもん勝ちが成功者となっている風潮がある。

 

 

所謂、煮ても焼いても食えないやつ。。

皆さんの周りにもいるかもしれません。。

 

 

それでも、そんな人ほど心に影はあるはずだ。。

金は唸るほど持っているが、心から信頼できる友人もいない、ただ人も信用できない。。

当然尊敬もされず、お金で集まった人を友と言ってはばからない。。

そんな人生は私は嫌だ。。

 

 

朝から自身の醜態をさらしたようだが、二十歳になる前に経験したこの失敗は、30年後の私の財産にもなっている。。

皆さん色んな苦労があるでしょう。。

私だって、楽ばかりしてきていません。。

でも、この病気が治ったとしたら、やりたいことは数えきれないくらいあります。

 

 

私は今もまっ黒な水にぽたりぽたりきれいな水を注いで、いつか透明になる様に心がけています。。

 

 

きれいな玉にならなくたって、形は歪でも風変わりで多少は他人に興味をもって頂けるような玉になればいいかとも思っています。。

 

 

今生きているのにチャレンジする事を忘れてしまったり、諦めてしまったとしたら、

それは生きている事にはならないんだと、自分に言い聞かせるように自身の為にも書いた

今朝の座右戯言でした。。。

 

 

おそまつ。。。m(_ _ )m

 

 

 

 

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